仏教は意外と身近な存在!?念仏宗も?

四国出身の私は、霊場88ヶ所の霊場の中で育ったので、小さい頃から徒歩で巡礼するお遍路さんに接することが多く、日常的に仏教を感じながら育ったように思います。とはいっても、キリスト教徒のように毎週末に教会に行くといった敬虔さはなく、盆暮れや葬祭のときに、家族とお墓参りするといった程度だったと思います。ただ、何かあったときには、仏教の教えに寄り添って生きてきたはずなので、念仏宗を通して見えてくる、私達の身近な仏教に目を向けてみようと思います。

身近にある仏教に関するもの

私の実家は、山間部の田園地帯に民家が点在する農村でした。四国の霊場付近ということもあり宗派は真言宗で、古くから月に一度交代で集落の家に集まって精進料理をいただいてから、その家のご先祖様にお経や御詠歌をあげる「念仏講」というものがありました。年に一度程度でしたが、祖母の隣でお経や御詠歌を、ただ一生懸命あげていたのを覚えています。そのせいか、念仏宗を初めて知ったときには、宗派は違ってもなんとなく親近感を覚えました。さらに、その教義に接してみて初めて、子供の頃に実家で体験したことの意義がわかった気がしたのです。朝起きたら、仏壇のお水を入れ替えて、炊き立てのご飯をお供えして手を合わせるといった、ごく当然のように身についていたことでも、その意味がわかってからは思いが変わりました。念仏宗は、仏教が私達の日常生活のこんなにも近いところで役立っている事に、改めて気づかせてくれたのだと思います。

仏教の行事が多くある

仏教といえばお釈迦様なので、いろいろな行事があります。どうせ行くならお釈迦様のお誕生日である「降誕祭」にしようと思い、参詣の予約をとることにしました。降誕祭は、六大祭事のひとつでもあるし、平日でもけっこう混みあっていると聞いていたので、ずいぶん前に連絡しました。季節にもお天気にも恵まれ、総本山の庭園には桜をはじめとした様々な花が咲き乱れていて、世界中がお釈迦様の降誕を祝っているかのような、幸せに満ちた時間を過ごす事ができました。信徒ではないので、立ち入れないところもありましたが、案内してくれた方がとても親切で、微笑みの中にお釈迦様の慈愛のような暖かさを感じました。季節を変えて、違った趣の風景も見てみたいとおもったので、次回は秋のお彼岸辺りにもう一度参詣しようと思っています。

私たちの生活には仏教の教えが自然と存在している?

念仏宗の4つの教義の中に、四恩を大切にするというのがあります。それは、人としての道であるごく当たり前のことですが、いざ実践するとなると案外難しかったりします。まず、父母を敬い孝養を尽くすということ。生きとしいけるものに感謝すること。社会の勤めを果たし勤めを果たすこと。そして、三宝に帰依することです。私の実家は、田舎の山間部の大家族だったので、母がしつけに厳しく、食事やお風呂にも年功序列のような順番がありました。今ではもう、珍しい光景になってしまったかもしれませんが、年長者に対する敬いの心を、日々の生活の中で植えつけられたのだと思います。また、食べ物を残すことが許されなくて、「もったいないは、無駄にしてはいけないということ」だと教えられました。この二つだけをとってみても、我が家のしつけの中にも、仏教の教えが自然と存在していたことに、念仏宗の教義に触れたことで改めて気づきました。

まとめ

こうして考えてみると、仏教は私達の日々の生活の身近なところにあって、親や周囲の人から教えられたことの中にも、着実に息づいているのだと驚きました。それとともに嬉しい気持ちになり、念仏宗の教えが人としてどう生きるかということを考えさせてくれたのだと実感しました。これから、さらに年齢を重ね様々な経験を積んでいく中で、無意識の内に出た言葉や態度に、ふとお釈迦様の教えを感じる瞬間を持てるように、もう少し正しい人になれる努力をしなければいけないと思いました。

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